“5月29日 AM6:00 HOTEL・AThat宿泊予定”。
宮沢は赤茶色の皮のカバーをかぶせた小さな手帳に、お気に入りの黒い万年筆でそう書いた。
 伯父の探偵事務所で4年間働いたのち独立、古びたオフィスビルに探偵事務所を設立してから8年が経つ。
予定や事柄は即座にメモするのが探偵歴12年になる宮沢の癖になっていた。
 宮沢がそのメモをとったのは事務所に帰ってきてすぐだった。
帰ってきて、というのは宮沢が30分前まで喫茶店で人と会っていたからだ。


「宮沢さん、これ貰ってください」

 狭くて古びた喫茶店のカウンター席で、
宮沢の隣に座っていた80代前後の男性がセカンドバッグから封筒を取り出して宮沢に差し出す。
宮沢は拭いていた眼鏡をかけなおして、笑顔を浮かべながら老人の封筒を持つ手ごと押し返した。

「最初にご依頼金はいただいておりますから、それ以上はお受け取りできませんよ」
「ホテルの宿泊券ですよ、慰安旅行でもして下さい」

 このような老人は何度断っても渡してくるものだ。
代表的な例を挙げるならば、おばあちゃんからのお年玉である。

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 少々苦笑いになりつつも宮沢は封筒をスーツの内ポケットにしまった。
ホテルの宿泊券といわれても自分の目で確かめたわけではない。うたぐり深い宮沢にとって不安でならない。
かといってすぐ開封して確かめるのも失礼になるので、渋々ポケットにしまいこんだのだ。

「また何かございましたらお気軽にご相談ください」
「ええ、ええ。ありがとうございました」
「それでは失礼させていただきます」

 会釈をして席を立ち、会計を済ませた後にもう一度老人に会釈をしてから喫茶店を出た。


 そうして受け取った封筒を事務所で開封すると、
中にはHOTEL・AThatという高級ホテルの、しかもスイートルームの宿泊券が入っていたというわけだ。

「これだから金持ちのじーさんは腹がたつ」

 立ったまま、事務用に買った質素な灰色のデスクに手帳を開いて置く。
壁に掛けてあるカレンダーでスケジュールを確認してメモをとり、宿泊券を挟んで手帳をしまった。
デスクに置かれたパソコンの電源を入れてネクタイを緩める。
ジャケットを脱ぎながら、すぐ隣にあるドアから生活に使っている部屋へと移動した。








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