*ウタタネとキンロウ*

 初夏の訪れなどほとんど感じられない5月。
例年ならGWには桜の見ごろを迎える時期だが
今年の開花予想はGW明け1週間前後となっている。

「萌花GWどこいく?」
「どこいくも何もバイトだよ」
「……まあ萌花はそうだよね」
「佐保ちゃんは鳥羽っちとおでかけ?」
「うん。でも一応みんなで花見とかも考えてたけど」
「無理だべ、予想みたしょ?」
「寒いしねえ。近場とか家とかで遊ぶよ」

 最近、親友の佐保ちゃんに彼氏ができた。
4月初めの頃で、お相手は去年まで同じクラスだった鳥羽っちという男の子。
クラス替えで離れたことが逆に2人をくっつけたようだ。
そんな春めく親友とは打って変わって私はGWもバイトでびっちりと埋めている。

「アタシも春めきたいなあ」
「春めくって。じゃあソレに告白でもすれば?」
「……告白は、無理」
「なしてさ」
「――……だって寝てんだもん」

 ソレ……春日部涼は私の好きな人。
いつ見ても寝ている彼を好きになったのは、
親友カップル成立と同じ時期――つまりクラス替えの時。



 前のクラスではクラス1登校が早かった私を抜いて
彼はだだっぴろい教室の端っこで机につっぷしていた。

「おはよー……」

 おそるおそる小さくあいさつをして隣の自分の席にすわる。

「ん……おはよ」

 彼はポメラニアンのようなふわふわの頭をかくと
男らしい大きなあくびをした。

「来るの早いね」
「あ、うん。石狩だからスクールバスしかなくて」

 声変わりの途中なのか地なのか、それとも寝起きだからか。
ときどき裏返るかすれた声がなんとなくツボにはまった。
それが彼との初めての会話で、以来毎朝10分くらいは彼と2人の時間だった。
電気をつけていない薄暗い教室で
半分寝ているような彼とどうでもいいような話しをする。
それが特別な時間で、癒される時間だった。

「春日部はなしていつも早いの?」
「……なんとなくかなあ」

 ぼーっと、何も考えていないような彼に
私の事ばっかり考えてほしいと思うまであまり時間はかからなかった。



「ってかさあ、聞いていい?」

 回想にひたっていた佐保ちゃんが私を現実に引き戻す。

「ん?」
「ソレのどこが良いの?」
「んー……雰囲気と声」
「それって恋愛感情なの?」
「そゆのが良いなあと思ってるうちになんかさ
アタシの事なんて思ってるんだろうとか気になりだして
……気づいたら恋愛感情になってた」

 真横に本人がいるというのに
普通にこういう話ができてしまう事に違和感を覚える。

「……」

 佐保ちゃんは突然何かを考えるようにとまった。

「佐保ちゃ」
「春日部!!」
「え」

 佐保ちゃんは勢いよく春日部の肩をつかみ机から
引き剥がすように起こした。

「あ、おはよう佐保さん」
「おはよう春日部。次の質問にハイかイイエで答えなさい。
さもないと窓をあけます」
「……あけないで……」

 ぽやぽやという効果音がしっくりくる彼の顔。
まだ片足が夢の中の彼に、佐保ちゃんは脅しながら問いを投げかけた。

「春日部、好きな人いる?」
「――……ハイ」

 簡潔に答えてすぐに、春日部は机と愛を誓った。



「えー、来るGWの諸注意ですが」

 ショッピングモール内のカフェの休憩室で向かい合わせにした長机を囲んで会議をする。
ぎっしり、夜間バイト7人と店長を詰め込んだ小さな休憩室。

「まずは風邪等で休まないこと。休むとしたら――……」

 話の内容が頭に入ってこないのは昼間に学校で
春日部がハイと答えたことで頭の容量を超えたからだ。

「佐倉ちゃんと聞いてんのか」
「あ、スイマセン、聞いてます」

 ダメだ。これは帰ってから考えよう。集中できない。
……でも誰なんだろう。春日部の好きな人って。いや恋愛感情なのか、それこそ。
それとも眠くてどっちでもよかったのか?

「佐倉? 調子悪いのか」
「あ、いえ、大丈夫です、スイマセン」
「しっかりしろよ」
「はい」

 ほんとにしっかりしなくちゃ。春めきすぎてる。

『……で、煮詰まったと』

 家に向かいながら佐保ちゃんに電話をする。

「佐保ちゃんのせいなので話を聞いて。聞け」
『でも私もちょっと驚いた。そういうの踈そうでしょ』
「っていうか正直、誰だと思う?」
『うーん……希望もこめて萌花だと思うけど。
だって春日部が他に女と話してることってなくない?』

 ……そもそも春日部は男ともあまり話していないけども。

「だったらいいなあとは思うけど……」
『もし付き合ったらWデートしようね。
したら鳥羽っちに電話する時間だからまた明日』
「嫌味かって。ハイハイしたらね」

 電話を切ってぼんやりとしながら考える。

 たぶん……アタシじゃないと思う。自信がなくてあたりまえだと思う。
だって春日部がアタシを好きになる理由が浮かばないし、
もしも仮にアタシを好きだとしたら半分寝ながら話すだろうか。

 考えても考えても答えなんて出るわけもなく
次の日からは朝の10分がなんとなくぎこちなくなってしまった。



 そんなことをやっている間にGWはやってきてしまう。
彼に会えないのなら休みなんていらないなんて思いながら。

「タピオカピーチ2で」
「了ー解。これ3番卓ショコラ」
「はい」

 GW、ウチのカフェは大混雑。
ショッピングモール全体のチラシに何店舗か割引きクーポンをつけるのだが
カフェでクーポンをつけたのがウチだけだったとかで。
常に満席状態で今日は休憩ナシかもしれない。

「お待たせいたしました。何名様でいらっしゃいますか?」
「あ、2人です」

 席が空けばすぐに清掃に入り次のお客様を誘導。
 ホールは静かで落ち着いた雰囲気だがキッチンはまるで地獄絵図のよう。
カーテンかと思われるくらい注文票が連なっており、
洗うのが追いついていない食器の山で
食器洗い担当に任命された奈々先輩は頭だけかろうじて見える。
パティシエ志望の平岡先輩はショコラケーキにのせる
チョコレートの薔薇を2時間の間にもう100個は作っている。
アイスがたりなくなって食料品売り場に行った戸塚さんは
かれこれ20分は戻ってきていない。
たぶんレジで捕まっているのだろう。
 このキッチンに比べればホールは幸せなほうだろう。

「えーっと……カスカベ様――……」
「あ、おはよ。ここで働いてたんだ」

 現れた瞬間幻かと思った。
GW対策で特設された待合の椅子には春日部が座っていた。

「おはようございます! あ、でなくて、おはよう。
えーっと、何名様? 一人じゃないよね?」

 隣に男の子がいたので一応確認する。

「うん、2人」
「では、こちらのお席になります」

 空いた奥の席に案内して振り返った瞬間、心臓が大きく脈を打った。

「ありがとうございます」

 春日部の後ろにいたのは女の人だった。

「え……」
「……?」
「あ、ごめんなさい、メニューもしまっちゃったみたいで。
取りに行ってきますね」

 ぎこちない営業スマイルになってしまっただろう。
春日部のお連れ様は春日部の左に座っていた男の子でなく、
右に座っていた年上だと思われる華奢な女の人だった。

「なした佐倉」
「あ、メニュー忘れちゃって」
「おーい、抜けてんなよー」
「スイマセン……」

 平岡先輩のからかいに元気に応える余裕はなかった。
たぶんあれが春日部の好きな人だと思うと投げやりな気持ちになってしまう。
好きな人じゃなかったら、わざわざGWに2人で遊んだりしない。

「はい、こちらメニューになります。
お決まりになりましたらこちらのボタンでお知らせください」
「あ、メニューきまってるんだ、これ」

 クーポンを出しながらメニューを指をさす。
クーポンを持つ左手の薬指に光りを見つけてしまう。

「ショコローズ2点ですね。ご一緒にお飲み物はいかがですか?」
「あ、じゃあ俺カフェオレで。どうする?」
「私はココアお願いします」
「はい、かしこまりました。出来次第すぐにお持ちしますが、
混んでいるので少し遅くなりますがご了承お願いします」
「はい」
「頑張ってねー」
「ありがとうございます。失礼します」

 机の側面にある21と書かれたプレートの隙間に伝票をさして、
逃げるように2人の席をあとにする。

「平岡先輩、ショコラ2、カフェオレ1のココア1でお願いします」
「了ー解。なんか佐倉調子悪い? 休憩入るか?」
「あ、いえ、大丈夫です!」

 ダメだ。顔にでちゃってる。こんなんじゃ皆に迷惑かけちゃう……。
ちゃんとしなきゃ。忙しいんだから。

「佐倉!」
「はいっ」

 平岡先輩の手には真っ白な丸いトレー。
ショコラケーキが2つとカフェオレ、ココアが乗っている。
……思わず顔が強張ってしまう。

 2人のテーブルだ……。

「苺なくなったから10パック頼む」

 1万円札を持たされて戸惑う。

「戸塚さん要領ワリいからさ、まだホールやっててくれたほうがマシ。
悪いけど佐倉行ってきて。とりあえずコレは俺やるし」
「あ、はい」

 ……気を遣わせてしまったかもしれない。
平岡先輩なんて一番細かな作業で疲れてるのに。
戻ったらちゃんと、集中しなきゃ。
私の事情なんてお店には関係ないんだから。



「佐倉戻りました」
「お帰り」

 やっぱり横目で21番卓を見てしまう。仲良く話しているのを見て後悔した。

「はい」

 平岡先輩が苺のへたを包丁で切り落としてこちらに向ける。

「あーん」
「え、あ、あーん……! 甘っ」
「だってあまおうだもん。気合はいったろ?」
「……ありがとうございます」

 平岡先輩は面倒見がいい。バイト仲間でも甘いマスクに
この優しさとお調子者のおかげで平岡先輩を好きな人は多い。
 平岡先輩とはいつもふざけて遊んでるけど今日はなんだかすごく救われた。

「佐倉、平岡、あがっていいぞー」

 混雑もすっかり落ち着き、閉店まであと30分となった。
春日部達が帰ってからいつのまにか3時間もたっていて
ラストオーダーをとったところで店長から声がかかった。

「え、でも閉め作業は」
「今日のホールMVPは佐倉。キッチンMVPは平岡。
2人は休憩いれてやれなかったしな」
「やった! したらお言葉に甘えて帰るか佐倉」
「……じゃあ……お先に失礼します」
「お先でーす」
「はいお疲れさーん」

 着替えながら反省する。

 MVPなんて……そんな風に言ってもらえるような状態じゃなかったのに。

「佐倉ー。コート着ないで出といでー」

 更衣室のドアの前で平岡先輩が言う。
更衣室の出口はそのまま休憩室につながっているのだ。

 さっきのこと聞かれるんだろうか。
聞かれてもなんて答えたらいいんだろう。そんなことでって怒るかもしれない。

 着替えを終えておそるおそる更衣室から出る。
その瞬間ホットミルクのほろ甘い香りに包まれた。

「これ……」
「俺さ、ショコラとココアの組み合わせってクドいと思う」
「え?」
「俺的にオススメはこれ。ショコラとホットミルク」

 休憩室の質素な長机に小さな白いレースのテーブルクロス。
その上に香りの出所、ホットミルクとショコラケーキがのせられている。
ショコラケーキの上には
平岡先輩が嫌という程作った薔薇のチョコレートがのっている。

「21番卓……なんかあったんでしょ?」

 おいでおいでと手招きする平岡先輩の隣、ケーキの前に座る。

「これ食べて元気だしてくれたら嬉しいけどさ
ダメそうだったら俺に話してみれや」

 ひとくちふたくちと食べていると頭に手をのせられる。
そして、ぽんぽんと何度か優しく叩かれる。

 なんだかすごく今日のことを聞いてほしくなった。
怒られても飽きられてもいいから辛いんだって、聞いてほしくなって。

「……ア……タシ……」

 口を開いた時には既に涙がこぼれていた。
まだなんにも話せていないのに……事情もよくわからないのに
隣で泣かれたら迷惑だろうに。

「んー。んー。とりあえず食っとけ食っとけ」

 平岡先輩の優しさがあったかくて。
ホットミルクとショコラケーキはとてもお似合いで。
もう泣きたいんだか食べたいんだかわからなくなった。

 しばらくは泣きやめなかったが、ちゃっかりとケーキは間食した。
皆の閉め作業が終わってしまう前に
休憩室から外につながる裏口を使って店を出た。

 夜の街を人目を避けた道を通って帰りながら今日あったことを話す。

「好きな人?」
「はい……って言っても彼女いたみたいですけど」
「あー、あのミスマッチの。でも彼女とは限らないんじゃね?
明らかに年上だったし。ほら、バイト先のひととかかもよ」
「彼女でなくても春日部の好きな人はあの人です。
だってちゃんと起きて話してたんですもん」

 アタシとは半分寝ながらだったくせに。

「あははっ。ちゃんと起きてたって彼、どんな人なのよ」
「なんかいっつも寝てて……起きててもうたたね状態みたいなやつです」
「えー。俺の周りにはいないタイプだわ」
「アタシだってあいつ以外そんなのいませんよっ。
……でも、だから気になっちゃったのかも」

 せっかく止まった涙がぶりかえしてくる。

「もー……やだ……」
「……ちょっと公園でもよってくか」

 ぽんぽんとまた優しく頭を叩く平岡先輩。
アタシの手を引いて近くの公園にはいった。

「ア、アタシなんてどうせ、
寝ながらしゃべるくらいどうでもいい存在だったんですよ!
勝手に好きんなって勝手に傷ついたって、
春日部はそんなこと気づかないくらいあのひっ……あの人のことが好きでっ」

 しゃべりだしたら止まらなくなる。
もうほとんど愚痴みたいになっても、たまに相槌や優しく茶々を入れてくれながら
平岡先輩はそれをちゃんと聞いてくれた。
ひととおり愚痴が終わるとゆっくりと話し始めた。

「俺は佐倉がすごいなって思う。
そんなワケわかんねえような寝っぱなしの奴の、
周りが気づかないような良いところ見つけて好きになれるなんてさ」
「たまたま話す機会があっただけですもん」
「んー。でも佐倉がそいつの良いところを見つけられたのは、
佐倉が優しい奴だってことなんじゃないかなって俺は思うし、そうなんだと思う。
実際そいつと話してたのだってクラスじゃ佐倉くらいなんだべ?」

 たまに反論しておきながらも、
平岡先輩の言葉のひとつひとつが心の黒いモヤみたいなものを払ってくれる。

「それに佐倉だけが気づいたんでなくて、
佐倉だけにちょっと気を許したのかもしれない。
どうでもいい存在だと思われてはいないんじゃねえかな」

 ……時折冷たい風が横切るけれど、
平岡先輩が風上にいるからあまり寒く感じない。

「平岡先輩……」
「ん?」
「ありがと」

 散々泣いて愚痴って今更だけれど。

「先輩に聞いてもらえてよかった……。アタシ、ちゃんとふられてくる」
「え?」
「春日部には迷惑かもしれないし、
ぎくしゃくしちゃうかもしれないけど。
でもちゃんと終わらせなかったらアタシ引きずると思うから」

 平岡先輩が心配そうな顔で見る。

「大丈夫です!
だって苺とケーキでいっぱい元気もらいましたからっ。
もしふられて結構ダメージきてたらケーキ作ってくださいね」
「――……まかせとけ」

 そう言いつつもまだ心配してくれてる顔が
私の心をなでてくれているようだった。
私が春めくのはもう少し先の未来なのかもしれない……。

*ウタタネとキンロウ*