*センセイとヒミツ*

 

 赤ペンでひたすらマルとバツを付け続ける彼女を、煙草片手に眺める。
構ってもらえないのに少しの不満を抱きながらも、
仕事の邪魔をするわけにもいかず、暇をもてあます。

「みわちゃん。コンビニいくけどなんかある?」
「ん? ご飯なら作るよ?」
「ううん。煙草きれたから」
「あんまり吸っちゃだめよ、未成年なんだから」

 彼女は近くに置いてあったベージュの革製のバッグを引き寄せて、中を探る。
ブランド物の高そうな財布を取り出して、俺に千円札をつきつける。

「え、いいよ。金あるし」

 突き返した手に、千円札を握らされる。

「ココアと、ミルクチョコレート。あと好きなもの買っておいで。煙草は自分で買うこと」
「じゃあ受け取っとく」

 しぶしぶスウェットのポケットにつっこむ。
玄関に適当にちらばっていた靴を揃えて履く。

「いってきま……」
「ちょっと待って! その格好で外でるの?」

 下は黒のスウェット、上は薄いピンクのロンT。
昼間ならちょっと考えるが、今は深夜1時。

「別によくね?」
「夜は寒いんだから。どうせ出てから後悔するよ」

 言いながら、女物の白いストールと茶色のカーディガンを着せられる。

「この組み合わせは……俺センスゼロみたいに見えるんだけども」
「スウェットで外出ることがセンスゼロよ。スウェットは部屋着です」
「……みわちゃん。やっぱり年齢の差を感じるかも」

 彼女の顔が少しひきつる。

「どーせオバサンだもん!!」
「冗談、冗談。ありがと」

 少し驚いた後に、優しく笑う彼女。

「俺、みわちゃんの笑った顔好きだなあ」
「……っ! もう! 調子良すぎ!」

 俺はこの人が大好きだ。



 このあたりは少し出れば24時間営業のファーストフード店や、
深夜まで営業している飲食店の立ち並ぶ区域だが、
数キロで街頭も一気に少なくなる清閑な住宅街だ。
自分の体も淡くしか見えないほどの暗さが、春の遠さを再確認させられる。
みわちゃんがストールとカーディガンを貸してくれていなければ、
鼻水をたらしてしまいそうなくらいの寒さもそうだ。

「これと会計別でケントマイルド、ロング」
「はい、かしこまりました」

 俺はどうやら老け顔で、中学生の時から年齢確認をされたことがない。
彼女が9個上の26歳でも不釣り合いじゃなく映るのであれば、
むしろ大歓迎といったところ。



「ただいまー」
「おかえり。ね、寒かったでしょ?」
「うん。助かった」

 彼女の座る小さな丸テーブルと、ベッドの間のスペースに割り込む。

「そんなおっきな体ではいってこないでよ」

 笑いながら文句をいう彼女。
ずれた眼鏡をもどすと、すぐに紙に目をもどす。

「今どこまでいった?」
「渡辺君。あとちょっとだから」
「ん」

 俺が煙草のフィルムを剥がして机に捨てたのを、
赤ペンでつついて、居間の黄色いゴミ袋を指さす。

「置いとくとちらかるでしょ」
「はーい」
「わかればいい子」
「なんかそれオバ……」

 言いかけて、そそくさと逃げる。
彼女の眼鏡の奥が鋭く光りを放ったからだ。

「お、終わった? 俺何点だった?」
「……」
「悪かった?」
「92点」
「なんだよ、いーじゃんか」

 彼女は不満そうな顔でだまる。

「ねえ、他の授業ちゃんと聞いてる?」
「なしたのさ。他もたぶん90前後だよ」

 居間から、先ほどの狭いスペースに戻った俺の腕を掴んで、彼女は眉をひそめる。

「斎藤先生と水澤先生が話してるの聞いたんだけど、
涼、私の授業以外は全部寝っぱなしなの?」
「……ん」
「テストで良い点取ればいいってものじゃないのよ。
先生によっては寝ていれば欠席扱いにする人だっているの。
ウチは結構自由な校風だけど、留年する人だって少なからずいるのよ?」
「あー、わかったって。ちゃんと起きて聞くよ」

 白熱しだして、近寄ってくる彼女を押さえて止める。

「絶対よ?」
「みわちゃんから言われたら仕方ないべ」

 真ん中の席だとどうしても暖かくなって寝てしまう。
でも、ばれたし約束したし、今度からは寝れない。

「……ごめん、涼」
「え?」
「私、ちょっと焦っちゃって」

 結っていた黒い髪を下ろす。
ストールと同じ香りが一瞬だけ香って、薄れる。

「こんな些細なことでも、疑り深い人がいて、
涼との関係がバレたらどうしようって……不安になったの」

 少し困ったような笑顔で謝る彼女の、手を握る。

「バレたりしない。勘付かれても、認めなきゃ良い話」
「涼はいっつもそうやって!
疑われること自体、問題なのよ?」

 あまり喧嘩をしない俺達の、唯一の喧嘩はだいたいこの話だ。
正直俺は、そんな簡単にバレるとは思わないし、
否定し続ければなんとかなると思う。
それをいつもいつも変に不安がる彼女に、少しイラついてしまう。

「じゃあバレたら一旦別れて、クラスの女子とでも付き合って、
そんで落ち着いたらまた戻れば――」

 彼女の目が、少し赤くなっていた。

「みわ、ちゃん……」

 なんといったら良いか、言葉がうまく出てこない。

「私は、そんなに器用に見える?」

 泣くのを必死にこらえるように、少し震えた声で問われる。

「私は、一旦でも涼と別れることなんてできないし、
涼が他の……同年代の子と仲良くするのは、辛いよ。
バレるのも不安だけど……、こんなオバサンなんて
いつか飽きられるんじゃないかっていうのが、一番不安」

 力なく放たれた言葉に、先ほどの自分の発言と思いを後悔した。
周りよりも、何よりも不安にさせてるのは、自分の言葉だ。

「みわちゃん、ごめん……ごめんね」

 そっと抱き寄せて、謝る。

「でもね、俺はみわちゃんに飽きることなんてない。
みわちゃんが好きでいてくれるうちは俺、
みわちゃんと幸せになれることしか考えないよ」

 彼女の体が少しだけはねる。

「なんかもう、プロポーズみたいね」

 泣きながら、笑う。

「そう思っても良いよ」

 今度の言葉は、後悔しない。

「調子いいのよっ」
「ほんとに思ってるもん」

 本当に大好きで、本当に結婚したい。
卒業後すぐにってわけにはいかないけれど、
せめて同棲したりして、もっとずっと近くにいたいと思う。



 GW直前に迫り、浮だった雰囲気の漂う授業で、
生徒の間では鉄仮面と称されているみわちゃんの顔が、少しゆるんだ。

「GWが近いですね。皆さんは何かご予定はありますか?」

 ツチノコでも発見したような顔で、隣の席の佐倉さんが固まった。
ザワザワと教室が騒がしくなる。

「俺ら小樽いきますよー」
「ウチはおばあちゃんち行きます」

 何人か、前の席の生徒が応えている。

「深見先生はどっかいくんですか?」
「私は特に。GW明けテストでも作ろうかしら」
「え、こないだやったばっかじゃないですか!」
「冗談よ。私はゆっくり休もうかなって」

 ――……みわちゃんが他の奴と雑談してる。
俺だけが特別だと思ってたのに……意外と心狭いな、俺は。

「春日部君は? 何か予定はあるの?」

 いきなり話をふられて焦る。

「いや……、どっか出かけようかとは思ってる……ます」
「そう。皆さん、あんまり浮かれて事故にあったりしないようにね」

 ……みわちゃんも浮かれてんのかな。
これはあれだな、ほんとにどっか連れてってあげよう。



「みーわちゃん。甘いもの、好きだよね?」
「うん」
「発寒のショッピングモールでGWのセールとかやってるみたいで、
チラシはいってたんだけどね、コレ、見て」
「50%オフ?」

 彼女の家に届いた朝刊を勝手にあさっていると、
近くのショッピングモールのチラシをみつけたのだ。

「うーんとね、シャルルって喫茶店の、
ショコローズってショコラケーキのクーポン」
「……いくの?」
「嫌?」
「嬉しいけど……」
「……めいっぱいお洒落してよ、みわちゃん」
「ええー?」
「だって、いっつもスーツなんだもん」
「でもあんまり洋服もってないもの。
涼が見たことあるのばっかりだし」
「えー……。……あっ!」
「何?」
「ま、GW中に行こうか!」
「な、何さー?」

 そうだ、せっかくショッピングモールなんだし、
可愛い服をプレゼントして、それで回ればいいんだよな。
あそこならみわちゃんの好きな店もあるし。

「ふっふっふ」
「なんか涼が変だ」
「とかいって、みわちゃんも浮かれてんでしょ」
「ばれてる?」
「も、ばっればれ」

 かーわいいなあ、みわちゃんはっ!



「春日部!!」
「え」

 ――……突然、体を引き起こされた。
一瞬、何が起こったのかも、今どこにいるのかもわからなくなる。
目の前には同じクラスの佐保さんがいて、
この前の出来事を夢で回想していたのだと気づいた。

「あ、おはよう佐保さん」
「おはよう春日部。次の質問にハイかイイエで答えなさい。
さもないと窓をあけます」
「……あけないで……」

 突然の事に、まだ頭が起きてきていない。

「春日部、好きな人いるの?」

 さらに突然な質問がきた。

 好きな人はいるってか、みわちゃんだけど……、
みわちゃんこのクラス受け持ってるもんなあ。どうしよう。
でも、みわちゃんだって言わなければ良い話だし……ま、いっか。

「ハイ」

 答えてすぐ、さらなる追求を防ぐために机に突っ伏した。

 俺の生態調査でもしているんだろうか。
寝てばっかだからって、ちゃんと人間だぞ。



 待ちに待ったGW。
彼女を連れてショッピングセンターでお買いものデート。

「涼、ちょっとこれ試着してもいい?」
「うん。カバンもっとくよ」
「ありがと」

 ウキウキで更衣室に向かう彼女。手には、淡いピンクのワンピース。
小花がちりばめられて、肩の開いている春らしいもの。

「どうかな?」

 効果音すら聞こえんばかりに登場した彼女。
華奢な体系にすごく似合っていて、かなりツボにくる。
はしゃいでるのが可愛らしくて、やっぱり好きだと感じる。

「かーわいーよ。あとこれも付けてよ」

 白くて丸い、大きめの薔薇のビーズが連なったネックレスを渡す。

「わ、可愛い」

 キラキラと目を輝かせて、ほほ笑む。

「それ、気に入った?」
「え、うん」
「そっか。じゃ」

 少し戸惑っている彼女をしらんぷりして、店員を呼ぶ。

「すいませーん、これ買います。そのまま着てくんでタグはずしてください」
「え!? ちょっと、涼!?」

 1人の店員が彼女のタグをはずして、俺に渡す。

「え、待って待って、何してんの!」
「はーいはい、いいから」

 会計をさっさと済ませて、店を後にする。

「ねえ、いくらだった?」
「120円」
「それはおつりでしょ! ちゃんと払わせて」
「いーのっ。プレゼントなのっ!」

 困惑している彼女だったが、しばらくするとまたウキウキモードに戻った。

「ありがとね。大切にする」
「わかればいい子」
「あ、そういうこという」
「みわちゃんのセリフだべー」

 なんでこんなに楽しいんだろう。なんでこんなに好きになっちゃったんだろう。
もう言い表せないようなくらいに好きで、好きで、大好きで仕方ない。

「あ。ほら、あったよ、シャルル!」
「わー、可愛いお店。でも混んでるね」
「半額クーポンだもんさ」

 4、5人が店の前に並んでいて、中でも椅子に座って待っている人たちがいる。

「ま、はしゃぎすぎたし、待ちながら落ち着くべ」
「そうね。外でゆっくり話すなんていうのも新鮮だしね」
「見られたらね。でも今日のみわちゃんだったら、
生徒に見られてもバレないと思うよ」
「そうかなあ」
「大丈夫だよ。俺もびっくりするくらい、可愛いから」

 彼女が照れて真っ赤になるのが嬉しくて、
GWがこんなにも楽しいものになったのに幸せを感じる。
 やっと店内に入れたが、満席のようで、
設置された椅子の横にあるボードに名前を書く。

「どこも混雑はしてたけど、ここが一番かもしれないわね」
「でもなんかうるさく感じないね」
「あ、それマスキング効果よ。教室とかもそうでしょ?
一か所だけがうるさいと目立って聞こえるけど、
全体が話してるときって意外と普通に会話できるでしょ」
「ふーん。物知りだよな、みわちゃんって」
「こないだテレビでやってたの見ただけよ」

 こういうところをみると、やっぱり先生らしく感じる。
普段も学校で先生をやってるのを見ているけど、
あれは演技みたいなものだからなあ。

「えーっと……カスカベ様――……」

 名前を呼ばれて振り向くと、そこには見知った相手がいた。
同じクラスで隣の席の佐倉さんだ。

「あ、おはよ。ここで働いてたんだ」
「おはようございます! あ、でなくて、おはよう。
えーっと、何名様? 一人じゃないよね?」
「うん、2人」

 バレないとは思っていても、すこし構えてしまう。

「では、こちらのお席になります」
「ありがとうございます」
「え……」

 席について、振り返った佐倉さんが固まる。

 気づかれたか……?

「あ、ごめんなさい、メニューもしまっちゃったみたいで。
取りに行ってきますね」

 ……び、びびった。

「あれ、佐倉さんよね」

 向かいあって席を囲んだ彼女は真っ青な顔をしている。

「なんか変なとこなきゃ大丈夫だろ……」
「そうよね、平常心、平常心っ」

 平静を装っていていも、心臓は激しく脈をうつ。
たぶんバレてもいいふらすような奴ではないだろうけど、
それでもバレて付き合えなくなってしまったらと思うと怖い。

「はい、こちらメニューになります。
お決まりになりましたらこちらのボタンでお知らせください」
「あ、メニューきまってるんだ、これ」

 財布からクーポンを取り出して、見せる。

「ショコローズ2点ですね。ご一緒にお飲み物はいかがですか?」
「あ、じゃあ俺カフェオレで。どうする?」
「私はココアお願いします」
「はい、かしこまりました。出来次第すぐにお持ちしますが、
混んでいるので少し遅くなりますがご了承お願いします」
「はい」
「頑張ってねー」
「ありがとうございます。失礼します」

 佐倉がキッチンのほうへ入るのを確認して、大きく息をはく。

「バ、ババ、バレて」
「ない……んじゃないかな」

 店員に徹して敬語を使われると不安になる。
なんだかそそくさと帰って行ったし、もしかしてバレたのか。

「……もしバレたら、どっか高飛びでもすっから心配すんな」
「それはそれで心配よう」

 彼女が動揺するのを見て、しっかりしなくてはと思わされる。
しばらくして、突然ケーキを目の前に置かれて、心臓がとびはねた。

「ショコローズです、ココアです、カフェオレです」

 かなりの棒読みで、背の高い男の店員が置いていく。
コックのような白い服に、チョコレートのついたエプロン。
それに、この接客の不慣れそうな感じからしてキッチンのひとだ。

 よかった、佐倉さんじゃない。
来られるたびにドキドキするのも気が気じゃない。

「カップルさんですか」
「え、あ……あー、まあ」

 もしかして、佐倉さんの命令で探られているのかもしれない。

「佐倉の知り合いみたいで」
「あ、はい。クラスメイトです」
「……じゃあ、俺の後輩か」
「え!?」

 つい先ほどまで棒読みだった男の口調が素に戻る。

「佐倉今買い出し中なんだ。初めてのおつかい。
ってか、かっわいー彼女連れて、うらやましいなあ。
付き合ってどれぐらいよ?」
「2年くらいです……」
「うわ、長い! お幸せにー」

 な、なんだったんだろう。

 男は急に気さくになったかと思うと、嵐のように帰って行った。

「あれ、3年の平岡君よ。もう、何この店、怖いっ」
「あはは、なんか楽しくなってきたかも」
「もー、そんな状況じゃないでしょ!」

 ひやひやはしたものの、もうこれで会計以外は接触しないと思うと少し安心した。
同じ学校の先生と付き合うとなると、やっぱり外出は怖いものだ。

「みわちゃん」
「ん?」

 彼女も落ち着いたみたいで、ショコラケーキをテンポよく口に運んでいる。

「俺さ、みわちゃんと結婚したい」
「え!? なに、いきなり」
「あははっ。うん、いきなりだね」

 飾らない、素直なところが大好き。
たまに見せる、おっちょこちょいな面が、たまらなく愛おしい。

「初めて公園で会ったとき、突然説教されたときは、
なんか面倒なやつに会ったって思ったなあ」
「だって涼の中学の制服、ウチのと似てたんだもん。
ウチの生徒かと思って、ついね」
「苦手なタイプだと思ったのに、なんでこんな好きになっちゃったかな」
「もう、褒めてんだかけなしてんだか」
「褒めてるよ。今は、すごい可愛くて困ってる」

 ココアを飲んで、照れているのをごまかす彼女。
髪をかきあげたり、眼鏡をつけたり、はずしたり。

「何照れてんのよ」
「う、うるさいっ。涼がいきなりそんなこというから」
「だって可愛くて」
「わ、私だって……、涼が、かっこよくて困る」

 力いっぱい照れながら、どもりながら彼女は言う。

「優しいから、困る」
「俺優しいか?」
「優しいよ。いっつもさり気なくバレないようにしてくれてるでしょ?
今日だって、涼がお洒落してって言ったの、生徒にあったときのためでしょ?」
「……そういうの、ばれてたと思うとちょっと恥ずかしいな、俺」

 俺が照れたのがうれしいのか、
みわちゃんは目を細めて、優しく笑う。

 ――……きっと俺は、
この笑顔のためなら一生働いちゃうんだろうなと思う。
そんな未来を想像できることが、なんだか嬉しくて。

「みわちゃん、卒業したら同棲しようね」
「……よろこんでっ」

 この笑顔と、ずっと。

*センセイとヒミツ*